『大切にしているもの』が違うからこそ...

ただの雑談のつもりなのに過剰なアドバイスをもらったり、1に対して10あるいは100の返事をもらって辟易する場面があるかもしれない。私自身そういうことが多いので自分自身がそうならないようにと気を張る毎日です。

 

自分語りに聞こえる相手の言葉も相手なりの信念、好意(ありがた迷惑なこともありますが)があってこそなのもわかるので今回そこを自分なりに考えました。

 

 

相手にとっての『あなたのため』があなたにとっても『あなたのため』であるとは限らない。あなたが愚痴を漏らした時に相手がいきなり「イチゴが食べたい」ということはない。つまり、相手が発する言葉は相手なりに『あなた向け』にチョイスされたものなのである。

 

あなた向けの言葉を全て受け入れていたらすぐに飽和状態になり、あなたは壊れてしまう。自分のためにならないと感じたらその人やその情報から離れる勇気が必要。いきなり離れるのが難しければ『時間』『頻度』『手段』などで少しずつ制限をかける。離れるなり、受け流す力をつける。

 

あなたと相手では環境も、経験も、状況も、思考もすべてが違う。これらが違うということは『大切にしているもの』が違ってもなんらおかしくない。『大切にしているもの』が違えば発する言葉や表現が違う。互いに許容できない部分も出てくる。その違いは存在するべきで無理になくす必要はないのである。