『期待しない』というストッパー

人間関係での悩みについて、『期待しなければいい』というアドバイスをもらうことは多い。けれどもそれは容易ではないし、人によってはそれは冷たいと考える人もあるかもしれない。

本投稿では『他人に期待しない』ということについて、それが互いを守ることにつながると考えていく。

 

『他人に期待しない』ということの大切さは理解できる。何かを残念に思ったり悔しがったりする時、『それだけ期待していたのだな』とわかるから。その気持ちの大きさにつらくなることもある。それならば、その残念だとか悔しいだとかの気持ちを小さく済ませるには『期待しない』のが1番なのである。

けれども『他人に期待しない』ということが感覚としてよくわからない。『頼んでいたのにしてくれなかった』と明確なものから、『普通本人にそれは言わないのに言った』という不明確な期待まである。『期待しない』が分からないほどに私は無意識下で期待しているのかもしれない。

そもそも『他人に期待しない』と主張する人によっても期待の度合いは異なる。そこで『(過度の)期待をしない』と条件付きで解釈すれば、『自分で人生を開拓』と言い換えられる。『期待』とは行き過ぎれば『監視』『支配』に変わる。極端な表現かもしれないが、『こうするべきなのにあの人はしない』という思考は支配である。そして、その『~すべき』というレールに乗せるために監視するようになる。

これを防ぐための『期待しない』であれば、『他人に左右されない』ということになる。『期待しない』とはある種ストッパーなのかもしれない。

 

他人の言動に影響されないことは大事である。自分の軸を持つことになるからである。『期待』とは決して悪いものではない。ただ、それがとって毒になる場合、『自立』することが互いを守ることになるのである。