自分の感性を信用する

自分の感じ方を否定されるようなことが続くと『自分の感性は信用してはいけないのだ』と思い込んでしまう。でも本当にそうだろうか。目に見えない『感性』というものは他人の評価によりその価値を失うものなのだろうか。

本投稿では『感性』を『心の声』に表現を変えながら、自分の感性を信用することについて考えていく。

自分を否定する

ふとした時にシチュエーションの違う嫌な記憶がよみがえることがある。それは人前で叱責された記憶のようにつらいものから、なんとなく会話がかみ合わず恥ずかしかったという些細なものまで様々だ。それらの共通点は『自分を否定している』という点だ。『自分はおかしい』『これではいけない』『人と違う』と強く思い込んでいる。自分を否定し続けるとあるものが小さくなる。

『自分を否定』の常態化

それが『心の声』だ。

感じているものは事実。なのに自分以外にその感覚を否定されることがしばしばある。すると自分の感覚が自分でもわからなくなる。そうすると『自分はこう感じる』という思考を持てず、『自分の感じ方はおかしい』という思考が先に出るようになる。最終的に『自分』と『感覚』の間に壁ができ、感じ取ることが難しくなる。自分で自分を否定する癖がついてしまうから。

感性を守る

小さくなった『心の声』を大きくするのは難しい。まずは声を聞く耳を養う。少しずつ聞こえるようになったら、その声を守るようにする。自分の感覚は他人にはわからない。同じものを見ても聞いても他人とは感覚が違うから。だから互いの見え方聞こえ方を『おかしい』ということはできない。それを『感覚』でわかっていく。守られるべきは自分も他人も同じなのである。

『わからないものである』と知っていれば互いに否定批判することもない。感性に正解はないのだから。