それは誰の悩み?

『親友が悪い男にお金をだまし取られているのに本人は彼を信じ込んでいる』

こんな時あなたはどう考えるだろう。親友が経済的に破綻してしまう、かわいそうな思いをさせたくない、とあなた自身も深く重く抱え込んでしまうかもしれない。けれど本来解決するべきは親友自身だ。

 

困っている人を助けたいと思うのは何らおかしくない。ただし『助けたい』という思いと『代わりに抱え込む』というのは意味も影響も大きく異なる。

今回は代わりに背負い込んでしまう私たちが向き合うべき課題について書いていく。

 

 

『代わり』にはなれない

出口が見えないほどの悩み事を抱えているときはたいてい人の悩み事も抱えている。『自分の悩み+人の悩み=自分の悩み』と考える場合もあれば他人の悩みがそのまま自分の悩みにすり替わってしまうときもある。厄介なのがこの思考がほぼ無意識化で行われているという点である。なぜ苦しいかというと、『代わりに解決することはできない』からである。できないことをそれでも無理にやろうとして苦しくなる。

 

悩み事の持ち主

この場合、自分と他人を区別する必要がある。具体的にどうすればいいかというと、悩んで苦しい時は1度立ち止まる。そして『これは誰が解決するもの?』と問うのだ。自分か、自分以外か。ぐちゃぐちゃでわからない場合は紙に書く。紙に悩み事を書くと『誰が困っているのか』が自ずとわかってくる。その人こそが『本来解決する人』である。大抵は、『その人が困っているからあなたも困っている』という状況のはずだ。

 

自分の本当の課題

問題を代わりに解決することはできない。ゆえに代わりに抱え込む必要はない。でも見て見ぬふりはできないと思ってしまう時。その時は『自分を満たしてから助ける』ということを大事にする。自分に余裕のない時に人を助けることはできないから。自他を区別する余裕を持つ。これからも自分が自分として生きていくために自分にしか解決できない課題である。