苦しみに納得する

苦しみを抱えていないという人はいないだろう。人に説明できる苦しみから、なんとなく感じている苦しみまで多岐にわたる。苦しみの種類によっては一生付き合うものもあるだろう。私は苦しみとは世界を広げることによって軽減されることもあると考える。だが、苦しみの真っ只中にいる人に世界を広げることまで求めることはあまりにも酷である。

 

苦しみにも波があり、ふとある時ほんの少し心に余裕ができるタイミングがくる。

 

ここでは私が考える『苦しみとの向き合い方』について記していく。

 

 

箱で生まれる苦しみ

苦しみは執着から来ている。そして執着は小さな箱の中で起きている。小さな箱だから小さな声も反響して大きな声に聞こえる。だから無視できずつらくなる。それならば、箱を少しずつ大きくする。そしていつか必要がなくなれば箱ごと取っ払ってしまおう。頑丈に見える箱も展開図のように開くことができる。世界が広がる瞬間である。

 

納得して苦しみ、納得して手放す

苦しみを手放すのは容易ではない。だからこそ苦しんでいたのだから。そこで私は『納得』ということを大切にしている。

 

納得とはしばしば軽視されるがとても大切なことである。何かを決心したとして、いつか『でもあの時本当はやりたくなかった』と後悔しても取り戻せないことがあるからだ。生きる上で不本意なことは確かに多い。それでも気が向いたときに『納得して』向き合う。そして、『納得した』上で手放す。

 

この『納得』とは必要なプロセスなのである。苦しみがあったとして『自分が苦しむ必要はない。おかしい』と誰もが思うだろう。そしてそこで、『この苦しみは小さいころに理不尽に叱責された記憶とリンクしているのではないだろうか。それならばその傷を癒すことで今の苦しみも変わるのではないか』と苦しみに納得し近づいていていく。これはかなり勇気がいることである。だが、そうすることで結果的に自分の価値観だとか、苦しみへの向き合い方だとかに変化が起こる。

 

義務ではない

世の中には姿の分かる苦しみから不明瞭な苦しみまでたくさんある。向き合えるものについて納得できたら今度は手放す。苦しんだからこそ得たものは必ずあるのだから。大事なのは『できる時に向き合う』ということ。今向き合わなければならないわけではない。そして、絶対に向き合わなければならないものでもない。向き合わないことを選ぶのもまた人生なのである。