ゆるい制限で療養

療養生活の中で常に問いているものがある。

『今の自分は休めているか、否か』である。

 

本投稿では便宜上『上手い療養』『下手な療養』という言葉を用いている。あくまでも経験に基づく個人的見解で、他者の生活スタイルや療養の仕方は尊重されるものだと思っている。

 

今回はそんな療養の在り方について私が感じることを書いていく。

 

 

 

療養とはなんのためか

療養には上手い下手がある。体は休められても心は休められない人は多い。むしろ『休む』という行為がストレスになる場合もある。私はこのタイプだった。休んでいるときでも抱えきれないような罪悪感がこみあげて苦しかった。

 

経験上、気力体力精神力はそれぞれつながっていてバランスを保っているように感じる。どれかが崩れれば他も崩れてくる。そのバランスを保つ訓練が療養である。エネルギー配分と言い換えることもできるかもしれない。

 

制限の中での療養

上手い療養とはルーティンの中で過ごせていること。下手な療養とは自分に無理なものを課して過ごすこと。私も少し前までは後者だった。

 

自由が秩序の中で保たれるように、多少の制限があったほうが良い状態を保つことができる。ただ、その制限が精神をすり減らすものであってはならない。

 

ルーティンというのは『規則正しい生活』だ。同じような時間に起き、食事をとり、入浴をし、就寝する。ただその中でまだ自分にはハードルが高いものを無理にしてはいけない。無理に入浴しなくていいし、食べられるものを食べ、出られるときにベランダに出ればいい。

 

『規則正しい生活』と聞くと「朝起きなくては」と捉えがちである。私もかつてはそうだった。夕方に目覚めては聞こえない目覚まし時計にがっかりしたものである。主治医の方針でもあったが、『睡眠時間がとれているならいい』と思う。

 

療養における制限について、『時間』での制限ができないのであれば『タイミング』による制限が個人的には効果的だ。具体的には『7時に起きてラジオ体操』が難しいのであれば、『何時でもいいから起きたらまず寝たまま伸びをする』といったふうに。

 

ルーティンを築く

上手い療養は症状の改善に確実に近づいている。難しいのはそれを維持することだ。症状は天気や気温、状況の変化に左右されやすいからだ。また、療養が下手だからといってそれが悪いことではない。様々な療養を経て、自分らしいスタイルを築く。それがルーティンとなる。1つ1つの経験が引き出しになる。