言語化のツール

昔使っていたものに大人になってから触れると不思議とわくわくするようなことがないだろうか。絵の具の香り、竹馬やあやとり、粘土など。私は原稿用紙や鉛筆に特にドキドキする。また、大人になったことで当時と違う使い方を見つけられると心が高鳴る。今回はそんな、当時とは違った原稿用紙の使い方について書いていく。

 

 

原稿用紙という提案

私は言語化を日々大切にしている。それが自分を知るうえで最も確実だと思うから。何かを見て、うれしく感じるのか悲しくなるのか。どうしてそう思ったのか。それを考えることは自分の根っこの部分やコンディションを知るうえで欠かせない。

 

そんな言語化を図るツールの一つに原稿用紙は有効かもしれない。まだ導入したわけではないため、あくまでも想像の範囲内で原稿用紙に感じることや期待を述べていく。導入後、実際に使ってみた感想を投稿して変化を探していきたい。

 

言語化向き

原稿用紙は『伝える文章』ではなく、『言語化』にこそ向いていると思う。『伝える文章』の場合、文章のかたまり丸ごと入れ替えなどの作業も出てくるため手書きでは手間が多くなる。『言語化』も多少の整理は必要なものの、原稿用紙の行間のスペースで事足りる。スペースがあることで、後から見直した時の感想も書き加えられる。言語化のツールとして用いるので、フィードバックは重要だ。

 

さらにそのあとその一枚を眺めることで当時の自分を知ることができる。内容はもちろん、字のきれいさ、フィードバックにより得たものなど。特に字のきれいさは感情がそのまま出る。

 

原稿用紙への期待

これまで言語化専用のノートを3冊使い切って思うこと。それは、「使い切ったとき気持ちいい!」ということ。紙独特のその達成感が好きだ。原稿用紙に書くことを一か月続けると、「こんなに書いたんだ」とその枚数から達成感を得ることができるだろう。その快感により言語化する時間や言語化自体の質が上がっていけばいいと思う。