2023年の私へ

 

学生時代はノートの1ページ目が苦手なタイプだった。最初はきれいに書けても一度汚く書いてしまうと見るのも嫌になる自分の性格が分かっていたから。ただこのブログはそのいつでも捨てられるノートにはしたくない。

 

 

情報発信はしない

一番最初の記事は特別だ。やり直しがきかない。やり直そうとするとそれこそブログから作り直さなければならない。だから悩む。そもそも私の少ない経験でできる情報発信などたかが知れているのだから。

 

だから私は「情報発信をしない」という選択をした。まあ誰かにとって多少なりとも役に立っていればこれ以上に嬉しいことはないのだが。ここで私がすることは情報発信ではない。言語化だ。これは訓練といってもいい。私の人生において欠けていたもの。そして補いたいと私が心から願うものだ。

 

思考はたからばこ

私の思考が止まることはない。だからここでの言語化も止まることがないだろう。他人の頭の中など覗いたことがないが私の思考は寝ているとき以外動き続けている。起きた瞬間から予算計算をしていることもあったほどだ。常にやりたいこと、工夫できること、知っているつもりで知らないことを探している。追い続けている。

 

なぜそんなにも頭が動いてしまうのか。

私は恐怖からくるものだと思っている。

 

私が最も恐れるもの、それは「視野の狭さ」だ。普段どんなに周りが見える人でも焦りに包まれれば見えるものも見えなくなる。大切なもの、愛おしいもの、日常だったものが見えなくなる。それを人は「突然すべてを失った」というのだろう。

 

その「突然」が恐ろしくてたまらない。だが、その恐れは私に夢を見せる。視野が狭くなるのを恐れているからこそ「見えないものを見える人」になりたいと強く焦がれる。冷静に周りを見て吟味し、その場のベストを考えられる人行動できる人になりたい。そのためにも言語化をして自分について知り、足場を確保することが重要なのだ。

 

とりあえず1年

時にうざいほどネガティブ、耳をふさぎたくなるようなポジティブ、そしてまれにニュートラルな立場から考察する。

 

まずは1年続けて、1年後この文章を見返したい。

1年後どんな夢を見つけているか、今の夢には近づいているのか楽しみだ。

 

 

ー喫茶店にて